つるちゃんからの手紙3月号(令和2年3月号)
 

 歳を重ねると口の中にもいろいろとトラブルが起きる。痛くないからと放置すると、必ず症状(痛み・腫れ)が出る。私は、また噛むことができるのであれば、歯は極力残すことにしている。そう簡単には抜歯はしない。

 しかし、高齢化が進むと、良かれと思って残した歯が原因で、後で大きなしっぺ返しを喰うこともある。たとえその時に症状が無くても、「あの時に抜歯をしていれば、こんなことにならずに済んだのに」と、後悔することもある。「ええー?そんなことがあるの?」と耳を疑う人もいるかもしれないが本当である。

 例えば、心臓や脳血管が塞栓を形成すると、抗凝固剤という薬をずっと内服しないといけなくなる。いわゆる「血液サラサラ薬」と呼ばれるものだ。その人それぞれに病態によって内科の先生が適切に処方していただくことが多い。従来の抗凝固薬であれば問題は少ないのだけれど、新しく開発された抗凝固薬においては、抜歯後に出血がずっと続くものもある。

 たった1本の歯を抜歯するだけでも大学病院に入院しないといけない場合もある。それは大変な労力である。それがまだ、動けるうちはいい。年齢を重ね動けなくなった時が問題だ。

 私も以前、大学病院に搬送できない入院患者さんの抜歯を行ったことがある。主治医の診断で、今の心臓の状態だと抗凝固剤を止めることはできない。でも、歯は猛烈に痛み、周りの歯肉も真っ赤に腫れあがっている。こうなってしまうと、痛みが強いので、血圧のコントロールも難しくなる。やはり抜歯して痛みを取り除くしか方法がない。私は患者さんに出血が続くということをよく説明したうえで、最善を尽くすことを約束した。抜歯する前には「止血床」という簡易的な入れ歯のようなものを作り、万全を期した。

 抜歯はわずかな時間で終わり、縫合を緊密に行った。「なんだ、止血できるじゃないか」私はそう思った。しかし翌日、抜歯創部の消毒に往診したら、再び出血していた。私は止血しようと、再度縫合するも、ある程度時間が経つと、またジワジワと出血が始まる。結局1週間、出血は続いた。毎日往診し、止血できるまで対応した。

 

 歯と心臓、どっちが大事なのか、と問われたら答えは簡単だが、考えてみてほしい。1週間口の中から出血が続くのである。その患者さんはどんなに不安だったことかと想像する。そうならないようにするには、「動けるうち」、つまり「歯科医院に通うことができるうち」に口の中を最善の状態にすることが大事。そして、定期健診をきちんと受ける。歯の状態、歯ぐきの状態は年齢とともに変化する。老化という生理現象は口の中でも確実に起こっているが症状がないうちは自覚できない。だから、専門家である歯科医師、歯科衛生士にセルフケアの方法や、トラブルが起きた時の対処方法などを学んでいたほうが賢明である。

 成人の永久歯は合計して28本もある。対処法は千差万別。一人ひとり磨き方から、歯石を取る定期健診の間隔まで変わってくる。

 だから、「かかりつけ歯科医」を持つことは、とても重要なことだと考える。痛くなった時だけ行く歯科医院は「かかりつけ」ではなく「行きつけ」である。

 

 歯をしっかりと治すには時間がかかる。私たち歯科医師は毎日、手先を動かし、口腔という狭い空間の中でとても精密なことをやっている。その患者さんの人生を見据えての歯科治療というのは容易ではない。「終活」という言葉があるが、口の中で思うように治療ができるのは65歳までと、私の所属するスタディグループでは定義している。「終の治療」は口の中でも必要である。ご高齢の方には「もう歳だから」「そんなに長くはないから」といって口の中を放置することだけは避けてほしい。歯が健康なことで、口からなんでも食べることができる、そんな豊かな人生を送ってほしいと私は強く願っている。