つるちゃんからの手紙 8月号 (平成30年8月号)
 

 「好きこそものの上手なれ」という言葉があります。

故事ことわざ事典で引くと、「誰でも好きでやっていることは一生懸命になるし、それに関して勉強したり工夫したりするので、自然に上達するものである。芸事は無理して嫌だと思いながらやっても、成長はないということ」と記してありました。私はそれを読んで、ますますこの意味は深いなあ、と思うのです。

私は両親共働きで、小さいときは祖母に育てられました。

小学校に入ると水泳教室に入れられ365日のうち360日は水泳でした。

無理やり水泳教室に入れられたのです。水泳は大嫌いでした。

私は、体育と運動はまったくダメでした。運動会ではいつもビリ、だから運動会も嫌いでした。

 その反対に本とプラモデルが好きでした。母親はお小遣いは与えてくれませんでしたが、マンガ以外の本とプラモデルはたくさん買ってくれました。江戸川乱歩やアガサクリスティー、星新一、椎名誠さんの本が好きでした。

それと、プラモデルを精密に作ることが大好きでした。自動車、オートバイ、戦車、飛行機、お城、なんでも喜んで作っていました。マスキングし、塗装し、パーツをニッパで切断し、バリをとる。ヤスリをかけて接着面を確保し、適量のタミヤセメントを使って組み立てていく工程がたまらなくおもしろかったのです。中学生になっても、まったく飽きませんでした。一日中、作っていても平気でした。

 高校に進学したら、科学部に入部。今度はアマチュア無線にはハマり、接着剤がはんだごてに代わり、ラジオの基盤を作っていました。

また、壊れた自転車を修理するのが得意でした。パンク修理から、チェーン交換、工具さえあれば、ヘッドやボトムブラケットのベアリングのグリスアップまでやっていました。細かい仕事が得意でした。歯科医師を志したもう一つの理由はここにあるのです。

 人の歯とプラモデルは全く違いますが、少なくとも指先はよく動くようになったのは「好き」だったからです。

 大学歯学部に入学したら、実習が毎日のようにありました。これも細かい手仕事が多いので私にとっては楽しみの一つでした。そして歯科医師となってそれを人のために活かすことができるようになって、私はこれこそ自分の天職だと思っていました。

 ところが、私も45歳になったときに眼に衰えを感じるようになりました。これはショックでした。自分だけは眼に自信を持っていたからです。すぐに対策をとりました。ルーペ、スコープ、先輩にきいて、良いものと思えるものはすべて購入しました。しかし、なかなかいいものにはたどり着けませんでした。そんな時、私は衝撃的な体験をするのです。

歯科用顕微鏡です。顕微鏡をのぞきながら歯科治療を行うのです。顕微鏡はいままで使っていた拡大鏡とは全く違います。肉眼よりはるかによく見えます。するとこれまでに、できなかった精密な治療が、できるようになります。

6月は埼玉県にある顕微鏡メーカーへ行って、そこで研修を受講してきました。するとこれまでにできなかった精密な治療が、できるようになります。歯科用顕微鏡にもいろいろな種類やグレードがありますが、私はもともとメカ好きなので、そこもこだわりが捨てきれずに、2年間迷った挙句ようやく「これはすごい」と思える機種を導入しました。

カメラ好きの人だと分かると思いますが、カールツァイスのレンズで構成されている逸品です。たくさんの歯科用顕微鏡を試しましたが、やはりレンズの抜け、明るさや被写界深度の調整、操作性などはこのモデルが抜群でした。高価なものですが、よりよい歯科治療には必要だと確信しています。それが8月に納品され医院に設置されます。

私は新たな視界を手に入れることにワクワクしています。これからもますます歯科治療が「好き」になれそうです。              

                          理事長 鶴田博文