つるちゃんからの手紙2月号(令和6年2月号)
 

「働くっていうことは周り(傍)をラクにすること」、と父から習いました。ですから、大学を卒業したばかりの頃、まだ駆け出しの研修医時代には、周りをラクにするにはどうしたらいいのかということを考えて行動していました。私は口腔外科という医局にいましたので、朝早くから夜遅くまでよく働きました。まず朝一番に病棟に行き、宿直の先生が昨夜、どんな処置や投薬をしたのか、それぞれの患者さんの一晩のバイタルの変化などが書かれているナースカルテにすべて目を通します。その後は、朝食後の点滴をしに病室を回ります。その時に患者さんの顔色や気持ちをよく聴くようにしていました。それが終わったら、外来に行きます。外来の予約表を見て今日はどんな患者さんがくるのか、特に自分の指導医が診る患者さんのカルテにはすべて目を通しておきます。そして、患者さんの診療が始まると指導医との患者さんとのやりとりをすべてメモし、診療の補助を行います。診療の内容をカルテに記載し、間違っていないか指導医にチェックをもらいます。もちろん、治療の準備や後かたづけも研修医の仕事です。午前の診療が終わるのは大体午後2時を回ったころ、それから急いで食事をし、入院患者さんのCTやMRI、エコーや病理検査のオーダーや所見の記載、紹介先へのお返事や他の診療科への情報提供書を指導医に代わって記載をします。

全身麻酔で手術がある日は「鈎持ち」と言って手術創部を器具で開いておく係をやります。場合によっては6時間くらい同じ姿勢でいないといけませんので、体力がいります。

外来診療や手術が終わったら、もう夕方。入院患者さんの夕食後に一人ひとり点滴をしていくのです。その間に医局会やカンファレンスという症例検討会や医療機器メーカーや製薬会社の説明会などが入っているので、毎日がとても忙しかったことを覚えています。研修医は大学病院では日当扱いでしたのでボーナスなんてありませんし、今とは違い薄給でした。それでも食べていけるだけで幸せでした。

大学を出て7年後に開業しました。それまで培った口腔外科時代の経験を活かしてインプラント治療に力を入れていきました。

開業して初めてのインプラント手術は一緒に働いているスタッフでした。それから、たくさんの患者さんにインプラントを埋入していきました。同時に最新の知見や手術手技の研鑽に力をいれていきました。10年間はがむしゃらに走り続けました。今では、どんなに悪い条件でも、90%以上のケースがインプラント治療の適応症となってきました。若い時は、習う立場が多かったのですが、今では実習のインストラクターとして他の歯科医師に教えることの方が多くなってきました。

私が50歳を少し過ぎたとき、自分なりの手術の極意というものを理解できるようになってきました。手術は限られた時間で確実に目的を達成しないといけません。手術は術前に悩むことから始まります。CTを読影しながら懸命に術中をイメージするのです。本当にこれでいいのかと何度も検証を重ねます。そのイメージができていないとうまくいきません。手術の前にこれでもかとイメージを頭に叩き込んでおくと、手術が始まると私の指は自然と動き手術器具と一体化し、たとえ何が起こっても心は平静でいることができます。骨質が画像と違うこともあれば、予想以外の出血で視野が遮られることもあります。最後のインプラントポジションを決定し、最良の初期固定を得るレベルまで到達すると頭の中の雑念は一切消えてなくなります。自分の心が無の境地に引き込まれていく瞬間を幾度も経験しました。気が付けば、開業してからこれまで2000症例以上のインプラント手術を行っていました。やってみて思ったのが、症例の数は質に比例します。そして多くの経験は次の世代へ伝えるエネルギーへと変わるものになってきています。大事にしたいのは噛める喜びを、一人ひとりに、しっかりと感じてほしい。その心を忘れない人間である必要があると思うのです。これが、開業し22年目を迎えた私の心境です。