つるちゃんからの手紙1月号(令和6年1月号)
 

新年あけましておめでとうございます。今年で当院も21年目を迎えました。ありがたいことに20年間勤続してくれた職員は4人。また、10年以上の勤続者は5人(うち非常勤2名)と、ありがたい限りです。あまりにもうれしかったので、昨年末に表彰させてもらいました。

鶴田歯科医院は2003年に北高来郡森山町で開設しました。小さな歯科医院でした。診療チェアーは4台ありましたが、実際には3台稼働するのがやっとでした。歯科医師は私と2人のスタッフ、そして家内が受付などをやっておりました。開業した当初は1歳になる息子と家族でなんとか食べるものに困らず生きていけたらいいなという気持ちでした。ちょうど私が開業した頃は、歯医者は多すぎると言われた時代。週刊誌では「歯医者はワーキングプア」と揶揄されていましたし、開業した翌年の保険点数改正では、歯科の診療報酬は大きく削減されました。また、行き過ぎた行政指導のため自殺者がでるくらい厳しいものがありました。まさに歯科界にとっては冬の時代でした。

そんな時、私はある人と出会うのです。長崎市の中華料理店(当時は諫早にも支店があった)の店主です。その人は王さんといいます。君は商業界を知っているか、と言われました。戦後、焼け野原だった日本。その焦土の上に暮らしに欠かせない物資を集め「店」とは名ばかりの小屋の前に物資を並べそれを金銭に変えた人たちがいました。これが生き残る方法であったのですが、ある時から、一部の人が、法外な値段で取引きしたり、お客を欺いたりと、商いとは自分の利益を追求する方法になっていったといいます。そこで、そんな商人のために、本当の商人の生きる道を説いた人が倉本長治さんという人です。和菓子屋の7代目だった倉本さんは全国に手弁当で赴き、商業がいかに正道であるかを広めていったのです。後に、商業界という出版社で主幹として筆を執り、そして昭和26年に「商業界ゼミナール」という商人と直接対話する泊りがけの講演会を箱根ではじめました。そこで多くの商人に進むべき方向を示し、励まし、そこから日本を代表するような起業人が多く生まれていったといいます。倉本さんの言葉、「店は客のためにあり 店員と共に栄える」、これを聞いたとき私は頭を思いっきり叩かれたような衝撃でした。またゼミナールの指導者であった岡田徹氏の言葉「小さな店であることを恥じる事はないよ、その小さなあなたの店に人の心の美しさを一杯に満たそうよ」「私の店は正直な店ですと誰この一言を天地に恥じず云い切れる商売をしようよ。商品の豊富さを誇る前に、値段の安さで呼びかける前に、一つ一つの商品 あなたの実印を捺して差上げたい。」

王さんに勧められて商業界ゼミナールに参加するようになり、いろいろな人と出会い、自分の生きる道において、覚悟が決まりました。また、私も九州ゼミナールで講師として登壇させていただくという幸運にも恵まれました。それは全て王さんのおかげだと思っています。王さんは残念ながら昨年の10月に79歳で他界されました。毎年年末になると王さんは同友の仲間に心のこもったお手紙と、お店のカレンダーを郵送しておられたことを懐かしく思いだします。21年前、逆境の中での開業でしたが、王さんのおかげで前向きに歯科医院を運営し続けることができました。もちろん、私だけではなく多くの若い歯科医師が、そんなことに負けないで地域や社会で頑張りました。おかげで徐々に人々の歯科へのニーズが高まり、治すことが主体だった治療から、守る予防へと歯科界はシフトしてきています。そしていよいよ2025年を目途に国民皆歯科検診が始まります。これにより日本の口腔の健康はより増進できるようになることは間違いありません。未来は明るいと私は思っています。しかし、忘れていけないものがあります。

それは人を思いやる心ではないでしょうか。これはいつの時代でも不変です。今日の仕事、今日のあなたの仕事は、たった一人でもいいので、ここに来て本当に良かったと思ってくれる人をつくること。治療が終わって家族で夕食をとっている時に、「ああーご飯が美味しい」そう思っていただける。それが実現できるような、そんな医院になりたいと心から願っております。20年という間はあっという間で、一つの区切りを示しています。これからも地域のために心を尽くし、ここが日本の出発点となれるように、技術を磨いていく所存です。本年も皆様、どうぞよろしくお願い申し上げます。

2024年元旦 文責 鶴田博文

 

引用文献「店は客のためにあり 店員と共に栄え 店主とともに滅びる 笹井清範著(プレジデント社)」「岡田徹 詩集(商業界)」