つるちゃんからの手紙2月号(令和2年2月号)
 

北高来郡森山町田尻に2013年に開業した。土曜日だった。その日は11人の患者さんが来院していただいた。涙がでるほどうれしかった。すべてはここから始まった。

1人の歯科医師と2人のスタッフからのスタート。「そんなところに開業しても患者さんは来ないよ」「いまどき歯医者は多いから経営は厳しいよ」「どんなにがんばっても、借入を返済できないよ」と開業する前からマイナスの言葉を多くかけられたが、私は一切無視して開業した。「歯医者になったのだから開業しないで、どうする!」そう思っていた。開業して3年間はただ、がむしゃらに働いた。自分の体力の限界まで働いた。人に喜んでもらいたい一心だった。来院していただく人、それぞれに合った治療をずっと続けてきた。

 

すると、開業して1年目で、「先生の医院で勤務したいのです」と歯科医師が2人やってきた。歯科技工士、歯科衛生士も次々と優秀な人たちを採用することができた。手狭になったので、たった1年で増床し、診療台を2台追加した。そして、コンサルテーションルームを作った。なにしろ建てたばかりの建物の一部を壊して改築をするわけだから、たくさんのお金がかかった。4台だった診療台は6台になった。その時はたくさんの借入をした。増床し数年もすると、大きかった借入も少しずつ減ってきて医院の運営もようやく軌道に乗ってきた。

 

そんな時に、「島原道路」のために収用されることになった。時間をかけて慎重に医院の代替地を探しまわった。私が「ここだ!」と思ったのが今の場所。愛野町乙。この地に医院を移転したのが2012年。この時のオープンも21日にこだわった。

 

移転は行政の手続きも含めとても大変であったが、CTを導入し、インプラント治療専用、CEREC専用の個室診療室を作って診療台は8台となった。スタッフの数も気が付いたら少しずつ増えていった。開業した2013年からずっと医院に勤務しているのは、家内と山﨑さん、冨永さん、杉野さん、翌年から採用したのが横山さん、10年以上も勤務している人が歯科技工士の嵩下君と歯科衛生士の井手さん、受付の中村さんである。数えたら8人。みんなが、ずっとうちで働き続けてくれることが何よりの喜びである。今年度も産休育休を終え復帰する歯科衛生士が2人。考えてみたら、開業してから誕生した正職員のスタッフの子供の数を足すと、21人になる。これは大変よいことではないかと思っている。少子化と言われるこの時代、できる限りのサポートをしたいと考えている。

昨年度は4人の新入社員を迎え、4月にはさらに4人の入社が内定している。その内、1人は歯科衛生士という国家資格を取得するために専門学校に進学する奨学金受給者である。

開業して、丸17年。私にとってはちょうど折り返し地点。開業したとき33歳だった私も今は50歳。できれば、生涯現役で歯科医師という職業を続けたいとは思っているが、67歳でセミリタイヤする人生設計を立てている。だから、202021日でちょうど「折り返し地点」。次なる目標は、後進の育成に励む事である。昨年4月に入社した新入社員は定年までまだ約40年働くことができるが、私はあとたったの17年しかない。これまでが「アッと言う間」だったから、これからもきっと「アッという間」だろう。

開業から心がけてきたことがある。「通うのが楽しくなるような歯科医院」「共に働く人を大切にする経営」「技術には必要以上の投資を」、これらが私の原点。これを続けていくことに何ら迷いはない。

なにより、ここまで来ることができたのは、私だけの力だけでないことは確かである。良い患者様に恵まれたこと、良いスタッフに恵まれたこと、良い取引先に恵まれたこと、すべては見えない何かの力が導いてくれたことにある。ようやく折り返し地点にたてるようになったのも、支えてもらっている周りの方々のおかげであることは間違いがない。健康で、大過なく仕事に力をいれることができることは幸せなこと、ここまで来ることができたことに感謝の気持ちでいっぱいである。

202021日で、医療法人良陽会鶴田歯科医院は18年目を迎えます。

皆様、これからもお力添えをよろしくお願い申し上げます。

         理事長 鶴田博文