つるちゃんからの手紙8月号(令和5年8月号)
 

今日は、歯科医院の予約診療についてお話します。23年前、私が開業する前のことです。ある漁村の歯科医院を任されたことがありました。そこは来た順番に受付にある用紙に自分の名前を書いてから待ってもらっていました。満席になったファミレスや回転すしのあれです。予約制ではありませんでした。その町には複数の船着き場があって、近くの島からも多くの患者様が訪れました。行きたい時に、行ける時に、それぞれの人が私の医院に通院していました。行きたい時に歯医者に行くことができる。それは一見よさそうでしたが、待ち時間は恐ろしく長いものでした。抜歯後の消毒は5分とかからないのに、1時間半も待ってようやく診察することもありました。今では考えられませんが、それが普通でした。

 

当時を振り返るとこんな具合でした。築30年は経つと思われる木造の小さな建物で、1階が診療室で2階に2つの部屋がありました。私は10畳一間を間借りし、隣の4畳半がスタッフ休憩室、一階の従業員通用口の隣が3畳ほどの台所、その奥に小さな浴室がありました。2階へ上がる階段はとても急で、2階のトイレは雨漏りで底が抜けるほど老朽化していました。駐車場は2台、診療チェアは3台、待合室は狭く、トイレは和式。でもその地域の人たちにとってみたら重要な医療機関の一つでした。

赴任して、その歯科医院に住んで3日くらい経ったころ。朝起きて、台所で顔を洗おうと階段を下りてきました。すると、待合室に人影が。一瞬ドキッとしました。早朝なのに患者様がすでに数人待っているのです。どうやって入ったのだろうか。医院の鍵は隣に住むおばあちゃんが持っていて、朝4時に開けてくれるのです。朝一番、島からの連絡船が到着するので、早めに開放しているというわけなのです。9時に診療が始まる時にはもう待合室に人は入れません。医院の外まで行列ができていました。まさにそこは「行列ができる歯科医院」でした。こんなにたくさんの患者様を診たことがなかった私はとにかく頑張りました。3台の診療台をあっち、こっちと飛び回りました。

歯は悪くなってから治療するより、傷む前にかかりつけ歯科医をもったほうが、生涯健康でいられることが、医学的にわかっています。いわゆる予防歯科です。でも当時は、歯医者は「痛くなったらいく」「腫れたらいく」「詰め物が取れたらいく」という所でした。ですから、緊急的なものが多く1回にかかる治療時間も長く、診断も難しく、治療にかける労力も多大なものばかり。正直言ってとても大変でした。でも私はあきらめないで、大学病院での経験を活かし、精一杯力を尽くしました。

すると、さらに長い行列ができました。もっと忙しくなりました。昼休みが全くとれなくなりました。朝、診療に入ったら日が沈むまでノンストップ。「やれやれ、今日も何事もなく無事終わった」と、冷蔵庫を開け、カラカラになった喉にスーパード〇イを流し込んでいました。疲れすぎると眠れない。だから疲れを自覚する前に寝てしまえという作戦です。もちろん休みの日も、ぐったりです。まだ若かったけど疲れがなかなか取れなかったことを覚えています。

ずっとこのまま、仕事を続けていたらきっとなにかとんでもない医療ミスを犯してしまうと思い、スタッフに言いました。「来月から予約制にする」と。でもスタッフは誰一人喜びませんでした。肩透かしでした。実際に予約診療がはじまると、トラブルが続出しました。漁師さんからこういわれました。「自分たちは休みの日は海が荒れているときしか歯医者に行けない。だから予約は取れない、他の歯医者に行く」と。また、別の人からは電話で「予約の日まで待てないほど痛い、なんとかしろ」と。予約時間に治療に入れなかった人から「何のための予約だ、ふざけるな、二度と来るか」と診察券を投げつけられたこともありました。ごもっともです。たしかにそれぞれの言い分は間違いではありません。きっとスタッフはこうなることが予測できていたに違いありません。自分勝手だったことを反省しました。

しかし、もう元に戻す気は全くありませんでした。それは、自分の仕事の質がいい方向に変わってきたからです。患者様の待ち時間が大幅に減ったことが一番。行列が消えたことが一番。私だって、患者様をお待たせしていることが気になって仕方がなかったのです。予約することで一人ひとりに集中して治療をすることができるようになったのです。治療精度が上がりました。いい治療ができるようになりました。そして、あのひどい疲れがなくなったのです。あの状態のままではスーパード〇イを飲みすぎてアル中になっていたかもしれません。なにより最大の喜びは、休みの日に釣りに行くことができるようになったことです。海がとてもきれいな地域でしたので、大海原で釣りをするだけで、十分な活力を得、仕事へのモチベーションがどんどん上がっていきました。

人は仕事ばかりに精をだしていると心に余裕がなくなってきます。身をもって体験しました。患者様も、苦虫をつぶしたような顔をした歯医者より、心からの笑顔で接してくれる歯医者のほうがいいに決まっています。私も患者様もハッピーな関係を創っていくことが、永くいい仕事をするための秘訣だと思っています。また、当院の勤務医やスタッフのみんなにも、「いい仕事を続けるためには有給休暇も使いなさい」と言っています。たまに、あなたの担当ドクターや歯科衛生士が休暇を取ることもあると思いますが、そこは笑って許して頂けたら幸いです。

 

文責 鶴田博文