つるちゃんからの手紙3月号(令和5年3月号)
 

2月上旬、日曜日。

所用で熊本に行くことがあり、早朝の島原港フェリーターミナル。

乗船券を買って、車に戻ろうと駐車場で小走りをはじめた。その時だった。どこにどんな力がかかったのかわからないが、グリッと左足の踝をくじいてしまって転倒しかかった。一瞬めまいと同時に目に火花が散った。左足首に猛烈な痛み。しばらく呼吸ができなかったが、乗船時間となり、片足ケンケンで車にもどってエンジンをかけフェリーにのった。航走甲板に車を駐車して恐る恐る左足を見たら熱をもって腫れてきている。だんだん痛みも増してきている。そのまま車から降りることができなかった。少しでも左足を動かすとズキッと鋭い痛みが走る。こりゃ折れているなと直感的に思った。結局そのフェリーで島原港へトンボ帰りした。整形外科の当番医を携帯で探した。島原から大村まで運転した。右足でなかったのが幸いした。オートマなので運転はできるが、痛みで目がクラクラしている。追突されないように速度を保つのがやっとだった。整形外科に到着したら、すぐに車いすを看護師さんが用意してくれた。休日当番医で急患という立場。いつもは自分が当番医の立場だが、この時は患者という立場。ずいぶん長い時間待った。その間、始終自分はどうなるのだろうかと頭の中は不安でいっぱいだった。

骨折は間違いないだろう。歩けるようになるのかなあ。立てなくなったらどうしよう。治ったとしても時間はかかるだろうな。入院して手術となると、何日仕事できないのだろうか。車いすでしばらく生活しなきゃなあ。歩行訓練やリハビリは辛いだろうなあ。私が今治療している患者さんはどうなるだろう。こちらからお願いして治療をキャンセルするとなると申し訳ないなあ。何て言ってお詫びしようか。妻や息子たち、スタッフみんなに迷惑かけるだろうな。次男の卒業式と入学式、家族旅行。楽しみにしていたけど無理だよな。ハーレーも当分乗れないよな。いろんなことが頭の中を駆け巡る。当番医の整形外科の先生はエックス線写真を一瞥して「折れていますね。ほらここ。かかりつけの整形外科があるなら、そこで今後の治療をしてください。紹介状書いておきます」と。ギプスを巻かれて松葉杖を貸してもらった。今後の治療方針は翌日に持ち越しとなった。その日の夜は、いろんな事を考えて不安でほとんど眠れなかった。勤務医それぞれに電話し、「こんなことになって申し訳ない、明日から忙しくなると思うが、よろしく頼むね」と言った。

翌朝かかりつけの整形外科のドクターは、エックス線写真を診ると「鶴田先生、良かったです。この位置の骨折であれば手術は必要ありません。骨がくっつくのに6週間ほどかかりますので、定期的にエックス線を撮影しましょう。しかし3,4か月は痛みやむくみ、違和感は続きますので、無理な力をかけないように注意してください」とのことだった。その瞬間、ぱあっと目の前が明るくなった。手術しなくて済む。入院しなくて済む。仕事もできるだろう。飛び上がりたいくらいの喜びであった。しかし、まだ痛みは続いているため、鎮痛剤を内服し1週間は松葉杖で生活した。慣れていないので大変だった。

トイレに行くのも一苦労。いつもの何倍もの時間がかかる。手すりがあるとありがたい。階段を上るときは、特に注意が必要だ。慎重に登らないと大転倒してしまう。そんな時はスロープがあるとありがたい。こうやってたまにケガをすると健康のありがたさが良くわかる。思えば、新型コロナも落ち着き始めたころをきっかけに、結構出歩いていた。年末に受けた人間ドックでもなにもなかったので、ケガをした前日にも、友人と暴飲暴食していた。きっと神様が私をみていて、天罰をくわえたのであろう。「お前、調子に乗るなよ、大けがするぞ」、「もっと思いやりのある人間にならないといけないぞ」、「いい歳こいて、少しは自制心を持て」と。間違いない。外来にはなんとかたてるが、たまに疼く足の痛みをこらえながら反省している昨今である。