つるちゃんからの手紙10月号(令和6年10月号)
 

つるちゃんからの手紙 令和6年10月号

「妬み」

仲の良い友人はとてもイケメンで、若い時にはバンドで演奏していました。その彼が地元のライブハウスで知り合いがライブをするというので、応援に行きました。「どうだった」って聞いたら「面白くなかった」と言うのです。いつも陽気で決して人の陰口など言わないその友人がそんなことを言うとは思えませんでした。私が知っている彼は、食事をして、多少それが不味くても「美味しい」と言うし、不遇なことがあったとしても「ピンチはチャンスさ」などとすべてポジティブに捉える人柄なのです。でもその時はなにかこう不満気な態度だったのが気にかかりました。ふたりっきりになったとき、こう話してくれました。「あのライブはね、まあ欲を言えば、ああしたほうがいいとか、俺だったらこうする、とかあるわけ、でもね・・・本当は嫉妬していたんだ。」その友人は本気でプロになることを考えていた時期もあったし、なにより、楽器の演奏においては自負できるほどの腕前もあったものですから、そのバンドが予想を超えるテクニックで観客を魅了したので憤慨したというのです。でも、それは決して恥ずかしいことじゃないと思うのです。どんな人でもそんな感情や欲望が多少なりともあるのではないのでしょうか。人によってはそれが大きいとか小さいとかはあると思いますが、人としてそれがないと言えば嘘になるのはないでしょうか。

私の場合はどうでしょう。歯科技術においては、そのような感情を抱いたことはありません。自分より優れた技術を持った人がいたら、頭を下げてどうしたらその技術をものにすることができたか質問し、セミナーやコースがあれば、受講料を支払って旅費と時間をかけてもその技術をモノにするために努力をしていました。自分にはそれができたので、ある意味とても恵まれていたと思います。

しかし、思い返せば、私も嫉妬したことが一度だけありました。それは全国規模の経営セミナーコースで知り合った人です。彼はずいぶん若いのに次々と職員を採用し、あっと言う間にその県の中で最も大きな歯科医院へと繁栄したのです。その彼の講演を聴いた後、羨望という感情を激しく揺さぶったのです。ある時、思い切って訊いてみました。「なぜ、そんなに成功することができたのですか」と。すると、講演では全く話さなかったことを私に語ってくれたのです。それはもう寝食忘れ、想像を絶する努力をしていたのです。ひるがえって自分はどうだったのだろうか。そこまでの努力もせずにその彼をうらやんでいただけではなかったのか。であれば自分も彼を見習ってもっと一生懸命に医院の運営に力を入れるべきではないか。その日を境に彼の事を尊敬するようになったのです。

また、こんなこともありました。仮にその人をAさんとします。Aさんはとにかく評判が悪かった。悪い噂を何度も耳にする。ある宴席で隣の席になりました。正直弱ったなあ、関わりたくないなあと思っていました。しかし、Aさんはグラスの酒が減るとすぐに注いでくれるし、年上の私に対して、謙虚で礼儀正しく接してくれる。技術的な話をしてもかなりの勉強をしているし、その経験もたいしたものでした。また家族をとても大切にしており、嬉しそうに子供の成長を語ってくれました。Aさんの澄んだ目を見ていると善良且つ誠意がある人柄であることは容易に理解できます。きっと誰かがAさんを妬み、ありもしない噂を流したのでしょう。人のうわさは耳にしないこと、したとしても実際に接してみて自ら判断するに限ります。今でもAさんには会うたびに申し訳ない気持ちになってしまいます。自分には素直さが全く足りていなかった。噂を気にする、嫉妬している暇があったら自分を磨くことにかぎると思います。そうであれば物事は全て無色透明でゆがまず、キレイな一枚の透き通ったガラスのように見つめることができると思うのです。