つるちゃんからの手紙令和7年新年号 (令和7年1月号)
新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
年の始めには、必ずどんな一年にするか考える時間をとっています。やりたいことはたくさんあるのですが、これだけは必ずやろうというものだけは紙に書いて毎日朝礼の時に目にするようにしています。
今年、やりたいことは学会発表です。これまで、学会に行っても、質問することくらいしかなかったのですが、昨年2回の学会の総会・学術大会に出席したときに、これから自分は新しいことを世に発表しないといけない、そう心の底から感じるようになったのです。いままでは人から知識や技術をもらう事ばかりでありましたが、これからは人にも自分の知見を与えていくようなことをしていかないといけないと思ったのです。もうそれくらいのことをしてもいいくらいの経験も積んできたし、これからの時代は目まぐるしく変わっていくわけですから、なんらかの形で歯科界へ貢献してもよいのではないでしょうか。
はじめて学会発表を行ったのは卒後2年目でした。口腔外科学会で「口底癌で切除した下顎骨に肩甲骨皮弁を顕微鏡下で再建した一症例」という発表を行ったのです。文献上、日本ではじめて行った手術でしたので、準備は万端にし、予演会を何度も行い発表に挑みました。
学会の日、朝からなにも食事が喉をとおりません、会場に入ってスライドを提出すると吐き気がしてトイレに何度も行きました。発表が近づき、次演者席に座ると足が緊張でがくがくと震えだしました。自分の番になって演台に上がりました。発表が始まりました。喉がカラカラで、声は情けないほど震えて、息ができない。スライドを読み上げるのが精いっぱいでした。会場は満席で、シーンと静まりかえっていました。でも、どうにか発表を終えることができました。発表の時間は決まっていて、その時間を超えるとチーンと鐘が鳴るのですが、発表の終わりと同時に鐘が鳴り、そこで私は完全に力尽きました。
座長先生が質問を会場に投げています。質問に立った先生はK大学の再建の権威を持つ教授でした。私はその先生の顔を見る事もできず、もう泣きそうでした。質問された内容など難しすぎて、さっぱりわかりません。「へっ?」と言って私は黙りこくってしまいました。その時でした。「共同演者の〇〇です!」と私の教室の教授が演者席に立ってくれました。その後もF歯大学の教授や、S医科大学やK歯大学の講師が続けざまに質問があり、教授がサクサクと応えていってくれました。それは見事な質疑応答でした。私もわかったふりをし、頷くしかありませんでした。座長が最後に「興味深い素晴らしい発表でした」と言ってくれたとき私はようやく「終わった!」と思いました。気が付くと顔から首に汗をびっしょりとかいていました。
その日、医局の同期が打ち上げをしてくれました。教授に「すみません、うまく発表できませんでした」と頭を下げました。教授は私の眼をじっと見て、私の肩を叩きながら「よくやった、ごくろう」と大きな声で言ってくれました。もう私は嬉しくてうれしくて涙を堪えるのにやっとでした。さすがに魂が震えました。不出来だと思った発表を教授は「よくやった」と褒めてくれたのです。なんで、こんな感動したのかというと日本ではじめての症例をこんな青二才に任せてくれた教授の期待に応えたいと思ったし、教室の威信にかけて夜も寝ないで一生懸命に取り組んだからです。
あとで聞いたのですが、教授は私を信じてあの発表を私に任せたそうなのです。当時の教授の年齢と今も私の年齢は同じです。だから一度でいいので、学会で自分が納得できるような、世の中のためになるような発表を行う事にしました。大学の研究者や学者ばかりが集うのが学会ですが、ここは日本の西にある地方かもしれないけど、そこの町医者として今年こそは夢を実現したいと思います。