つるちゃんからの手紙 6月号 (平成30年6月号)
先日、インプラントの学術講演会に参加してきました。韓国の大邱(テグ)というところで開催され、福岡から飛行機を利用し1時間で到着しました。
世界的に有名なインプラント専門医の講演を聴くことが出来たことは大変有意義なことでした。
それもよかったのですが、もっとよかったのは日本から40人ほどの参加者があり、まるで昔からの仲間であったかように仲良くなれたことです。
みなさんインプラント治療に対する情熱は誰も負けないくらいのものを持っているわけですから打ち解けるのに時間はほとんどかかりません。
同じような年齢の歯科医同士であれば、技術的な話で盛り上がるのはもちろんですが、若いころの修業時代においての会話に花が咲きました。
一流といえるような臨床家、または良い医院運営を実践されている先生方と話しをしていると、ある共通点に気づきました。それは「不平不満があったとしてもそれをプラスにするエネルギーを持っている」ということです。
例えば、若い歯科医師が大学を卒業し大学病院なり、歯科医院に就職します。そうするといろんな先輩がいて、何かと指導をしてくれます。
治療においてしっかりと指導してくれて、人格も優れていて、経験においても成熟していて、「この人に出会えて本当に良かった」と思えるような人もいるかもしれませんが、そういったラッキーな人はかなり少なかったのが印象的でした。
反対に、歯科治療においては熱心に行い、それなりの技術を持っているかもしれないけれど、後輩への指導はほとんどしない、または苦手、という先生もいます。
実はそういった師匠の所で頑張った人が圧倒的に多かったのです。その場合、必ずといって不平不満が起こり、心が動揺してしまうのです。若いときは多感ですから、それが結構堪えるわけなのです。そんな時には視点を変えてみることも重要です。
良くないことがあればそれをどうやって改善していくか、多くの人に喜んでもらうにはどうしたらいいか、ということを考えてみるのです。そうすれば仕事にも興味もわくし、「よしやってやろうじゃないか」という勇気が湧いてくるのではないでしょうか。
これは私たち歯科医師だけではなくほかの職業や料理人、芸能人などにおいても、同じことです。非常に行き届いた師匠のところからはあまり「名人」や「達人」とよばれるような人は出ないように思います。むしろ、破天荒で、非常識と思えるような師匠のもとで修業し、そこからコツコツと苦労して技術を身に着けた人が「名人」や「達人」と呼ばれることが多いと思うのです。
私も告白しますが、そんな時代がありました。
褒められるべきことをしたと思っていても、ボロクソにけなされる。どんなに頑張っても認めてくれないどころか、いつも叱られてばかりいました。
みじめな気持ちになり本当に辞めてしまおうかと思っていても辛抱し、我慢を重ねて修行した結果、今の自分があると思うのです。
不満を不満で終わらせず、目標や勇気や希望に変えていく力を持つことはとても重要です。
人生の成功のカギとなるものは心の中に在るのだと私は思うのです。
理事長 鶴田博文