私の医院の前にはバス停があります。この医院を14年前に移転したとき、バス会社から電話があり、「バス停を歯科医院の前に移動してもいいですか?」と言われました。そのバス停は医院から70Mほど先にありましたが、こちらのほうが見通しもいいし、通学する中学生や高齢者の事故防止になればと思い「いいですよ」と快諾しました。
医院が完成しバス停が医院の前に移動してきました。すると思いがけないことが起こったのです。それは「ゴミ」です。バス停を利用している多くの人はゴミを捨てたりしませんが、ごく一部の心無い人が捨てていくのです。
なぜ一部の人かというと捨てられているゴミには規則性があるからです。捨てられている曜日が同じ。捨ててあるゴミがほぼ同じだからです。毎日のように同じ銘柄のビールとコーヒーの缶をそのままベンチの足元に放置してあります。
飲みかけのものもありますし、なにか入っているので水で中を洗うと汚い吸い殻が出てくる。そう、吸い殻も多い。バスを待っている間タバコを吸う。地面で吸い殻を踏みつけてそのまま。(フィルターも必ず同じ銘柄)
お菓子の袋も多い。飴玉やチョコレートなどの包装紙。一番、ひどかったのはプラスチックのコンビニ弁当の食べ残しがそのまま置かれてあったこと。これには本当に頭に血が上りました。来る日も来る日も朝出勤したら、バス停の前のゴミを拾っていました。
「そんなの放っておけばいいじゃないの」とおっしゃる方もおられるかもしれません。でもそんなことはできません。駅前の放置自転車を知っていますか。いつもおなじところに放置してある自転車のカゴ。誰かがゴミをひとつ入れたら、一週間もすればもうカゴには入りきれないほどのゴミが捨てられるのです。だから、バス停に空き缶やたばこの吸い殻が一つでも落ちていると、「ここにゴミを捨ててもいい」と思う輩がいるのではないかと思うのです。
学会出張で4日も空けて帰ってきたら思わず絶叫してしまうほどゴミがバス停にたまっていたことがあります。バス会社に相談したらここにゴミを捨てないでくださいというプレートをつくってベンチやバス停標識に貼ってくれたのですが、全然ダメでした。
ホームセンターに行くと「ゴミ捨て禁止」という目立つステッカーが売ってあったので、それをベンチにはりました。すると効果があったか、と思いきや今度は医院の室外機の裏、医院の看板の足のところ、隣接する空き地や駐車場に捨て始めたのです。
悲しい気持ちで一杯になりました。落ちているゴミを拾うかどうかということは些細なことかもしれません。「そんなことで頭にきていてどうする」と自分を落ち着かせるのですが、医院は私にとってみたら家と同じ。必死でつくりあげた大切な財産です。あなたも自分の家の前に、毎日のように空き缶やゴミが落ちていたらどう思いますか。おそらく静観できることは不可能です。
会社や組織においても同じことが言えます。同業の医院を訪ねるとすぐにわかります。破れかかった古いポスターが貼ってある。入口にある観葉植物が枯れていてもそのまま放置されている。部屋の隅には埃が溜まっていている。いずれも、そこのスタッフは毎日見ているはずです。見ていても、気づかない。たとえ気づいていてもやろうとしない。関心すらない。これはかなり危険な兆候です。
私は採用面接のときに学生時代のアルバイトをした経験をよく尋ねます。すると職場の掃除をするという事が当たり前に出てきます。掃除する時のコツや工夫を訊くと、それをいきいきと話してくれる人がいます。お金のためだけにアルバイトをしている人とは違って、掃除ひとつにこだわることができる人は社会に出ても細かいことをばかにしないで、自分で考えて行動してくれます。
最近はバス停のゴミが減ってきました。ゴミを捨てる人がいなくなったのか、それとも誰かがバス停のゴミを拾ってくれるのか、それはわかりません。朝一番の日課であるバス停の掃除は修行だと思って、元気なうちは続けていきたいと思います。






