院長・歯科医師 鶴田博文(つるた ひろふみ)

院長:鶴田博文
血液型 A型
生年月日 昭和44年9月生まれ
出身高校 諫早高校(水泳部)
出身大学 岩手医科大学歯学部卒(サイクリング部、写真部)
患者さまへひと言 通うのが楽しい歯科医院つくりを目指しています。歯の治療が苦手な方や難しい審美歯科症例やインプラント等の口腔外科を専門にしています。お気軽にご相談ください。
趣味 海のルアーフィッシング(シーバス、イカ)、写真、オートバイ、熱気球、アマチュア無線

経歴ー出身大学、勤務履歴、開業年など

001
平成9年 岩手医科大学歯学部卒業
平成9年 4月30日:131960号をもって歯科医籍に登録
平成9年 長崎大学歯学部附属病院:第一口腔外科学教室
平成10年 熊本大学医学部附属病院:歯科口腔外科医員
平成12年 佐賀県の歯科医院で分院長を経験
平成15年 鶴田歯科医院開業
平成22年 臨床研修指導歯科医(厚生労働省 第249号に認定)
平成22年 歯科医院地域一番実践経営塾
ベーシックコース ゲスト講師

所属学会・研修会の終了実績など

日本歯科審美学会会員
日本顎関節学会会員
日本口腔インプラント学会会員
日本有床歯科施設協議会会員
日本静脈経腸栄養学会会員
Win-Winの楽しい歯科医院普及協会:世話人
もはら保育園:園医

所属学会・研修会の終了実績など

■歯が痛くなる前に読む本
予防歯科を始めよう!!
■口腔ケアをはじめよう!
~愛野記念病院のとりくみから~ 
■審美歯科の魅力
~あなたの本当の美しさをひきだす方法~
■最新の歯科治療セレックでHappy smile birthday!
~虫歯治療をする前に読む本~
■噛める幸せをもう一度!
~いつも白い歯で素敵な笑顔のあの人が受けていた歯科治療とは?~

主な学会発表・論文


「肩甲骨皮弁で即時再建を行った下顎歯肉癌の2症例」 


「当院における歯科連携における口腔ケアの実践」(共同演者)


「口腔ケアの重要性~愛野記念病院の取り組みから~」


Dental magazine 2009 spring vol.128
詳しい内容はこちら


歯界展望 2010 May vol.115 NO.5

鶴田歯科、開業物語

こんにちは、院長の鶴田博文です。
私の人生は決して波乱万丈というわけでもありませんが、
私がどんな人かわかりやすいように自己紹介をしてみたいと思います。

もしかしたら、どこかで私と出会っていたなんて人も
おられるかもしれませんね。

楽しんでよんでいただけたら嬉しく思います。

幼少期

001私の生まれは長崎県諫早市平山町。
昭和44年9月6日に生まれました。

そうアポロが月面着陸を果たした年
当時は学生運動が盛んで、ベトナム戦争の撤退をニクソン大統領が始めた年です。

実家は歯医者さんというわけではありませんでした。
父は市役所に勤めており、母は高校の教諭をしておりました。

その長男として私が生まれたわけです。兄弟は妹が二人います。

私が生まれてすぐに母は働きにでましたので、
私は生後3カ月から祖母に育てられました

幼少期は無口であまり話しをしない子供だったようです。
幼稚園でもとくに活発ではなく一人で遊んでいることの方が多かったそうです。

小学校時代

雲仙市立土師野尾小学校に入学しました。
創立100年を迎えたとても古い小学校でした。

全校生徒は130名くらいで1クラスが15人から30人という小規模な
小学校でしたが、とてものびのびと過ごしたことを覚えています。

中学、高校時代

001中学校は諫早中学校で学びました。
水泳部に所属し寝ても覚めても練習ばかりしていました。
おかげで県大会まで進むことができました。

高校は地元の諫早高校に進学しました。
水泳部と科学部というクラブに入りました。

水泳でインターハイ出場を目指して頑張りました。
専門種目はバタフライ

高総体では200Mバタフライで県3位まで入賞することができた
のですが、残念ながらインターハイに出場することはできませんでした。

科学部というクラブではアマチュア無線を楽しんでいました。
いまでこそ携帯電話がありますが、
当時、無線を使って離れたところの人同士が話すことなんて
夢のようなことだったのです。

無線機を改造したり、アンテナを自作したりして、いかに少ない電力で
遠くまで電波を飛ばすかで頭はいっぱいでした。

このころ電信級の国家試験を熊本まで受けに行った事を覚えています。
海外の無線局とよく交信を楽しんでいました

大学時代

平成3年、岩手医科大学歯学部に入学しました。
歯学部は6年間履修期間があります。

第一学生寮という学生寮に入りました。
築40年は経つという木造2階建ての古い建物でしたが、
6畳一間で2食ついて寮費は三万五千円!
と破格値だったこともあり、
親に負担かけちゃいかん」と入寮しました。

しかし、厳しい寮で、毎日のミーティングでとてもしごかれました。
そのおかげで挨拶や返事や目上の人にたいする礼儀や、
チームワーク、そして人へのおもいやりについても
学ぶことができました


今でもこの寮生の先輩方には感謝していますし、
同期や後輩はいつまでもいい仲間たちです。

001クラブは飛行研究会に所属しました。
このクラブは熱気球で大空を飛ぶというクラブです。
すっかり熱気球の魅力にとりつかれた私は毎週のように宮城県仙台平野や、秋田県の横手市までフライトに行っていました。

夏休みや冬休み、春休みも合宿に参加し3年生のころには熱気球操縦士の資格を取得することができました。

そして翌年の北海道で行われた
第一回全日本熱気球学生選手権
3位入賞
を果たしたのでした。

そしてその翌々年には宮城県古川市で全国18大学の参加のなか、第3回全日本熱気球学生選手権実行委員長
行いました。

なんだ、クラブばっかりやっていたのか、この先生は。
と思われそうなので、もうちょっと書きます。

肝心の学校生活ですが、このころから大学ではよく先輩や教職員から

すでに歯科医院過剰時代だから、もう君たちは卒業したら
働く場所がないくらいだ、覚悟しておいたほうがいい


などとよく言われたものですが、そこだけは私は違う意見でした。

そんなことは決してない。患者さんに選ばれるいい歯医者さんはまだまだ少ないはずだ。これからは患者さんに思いやりの心をもって接することできるようないい歯医者に必ず自分はなる!そのために優れた技術を学ぼう。
と心に決めていました。

ですから勉強だけは小学、中学、高校以上にまじめにやっていました

最も興味のあったのはインプラント。
当時、インプラントはまだ登場したばかりで大学の必須科目にも
なっていませんでした。

しかし、補綴(ほてつ)科のT教授がブローネマルクというインプラント
日本に持ち帰り開業医として実践しているK先生に
特別に講義をお願いしていただいたのです。

私はこの講義を聞いて、心が震えるほど感動しました
こんな素晴らしい治療があったのかと。

今でもこの時の講義の内容は思いだすことができます。
これからの日本にもインプラントがあたりまえの時代になると確信した私は、

本場のインプラントをどうしても見てみたくなり、
大学5年の時の冬休みには米国UCLA(カルフォルニア大学)に
最新のインプラント技術を友人と二人で見学に行きました

004

やはり、歯科先進国で見たインパクトは強烈でした。
そして、これから自分たち若い歯科医がやらないといけないことが
たくさんあるということを思い知らされました

これは学生時代の貴重な経験となりました。

そして、6年生になりました。
歯学部を卒業したとしても歯科医師の国家試験に合格しないと
「ただの歯に詳しい人」で終わってしまいますので、
この国家試験にすべてをかける思いで臨みました

くじけそうな時もクラスメートやクラブや寮の仲間同士で
助け合って勉強
したことを覚えています。

国家試験と卒業式が終わり、岩手を最後にする日。

いろんな人に挨拶に行きました。

その時、6年間お世話になった自転車店の親父さん
(小田島さんといいます)から

つるちゃんならきっといい歯医者になれる!俺はそう信じているよ

と言われたときはジーンと感動して涙があふれてきたことを覚えています。

研修医時代

国家試験、卒業式を終え、岩手から地元長崎に戻ってきました。
国家試験の発表は6月なので、まだ歯科医師免許がないまま研修医になりました。

初めての就職先は長崎大学歯学部付属病院第一口腔外科でした。
歯科医師免許を持っていないのでいわゆる歯医者見習いのような
立場でしたが一生懸命研修しました。

合格発表当日は朝から落ち着かず研修していました。
長崎大学歯学部ではお昼前には発表があり、
歓声が各医局から聞こえていました。

日大出身の同期も2時ころには「よかった合格していたよ」と喜んでいました。
仕方がないので、夕方6時に母校の岩手医科大学の事務室に電話をかけて恐る恐る自分が合格しているか、聞いたのでした。

ああー鶴田君ね。元気?よかったね。受かってて・・・おめでとう。
(中略)ええー!この時間まで知らなかったの?大変だったね

と事務の方は驚いておられました。

その日、両親と祖母にイタトマのケーキを買って帰り
おかげさまで合格していました。いままでありがとうございました
とお礼をいいました。

みんなとてもよろこんでくれました。
とくにおばあちゃんは大感激していました。
といっても研修医の身分では本当に「一応資格がある」といった程度ですので、本当の勝負はこれからだと自分に言い聞かせました。

卒後研修は口腔外科だけではなく、歯科放射線科保存科
補綴科などほかの科での研修にあけくれました。

口腔外科では腫瘍の診断炎症顎関節症など一日が
あっという間に過ぎ去るほどの忙しさでした。

その後、熊本大学付属病院歯科口腔外科に勤務しました。
ここでは病棟と外来をいったりきたりと大変忙しい中にも
充実した毎日をおくりました。

毎日がエキサイティングで人生の中で最も働いたのはこの時期でした

もちろん体力は人一倍ありましたので、朝から外来で
たくさんの患者様を診察し、午後から手術。
夕方から夜にかけて病棟へ。
そのまま当直で寝ないで頑張っても全く平気でした。

ここでは私たち若い医局員対象にS教授が毎朝、勉強会を開いて頂きました。

朝は一番頭が冴えていてなんでも頭に入ります。
さまざまな論文や成書や文献を抄読し、これがとても勉強になりました

教授の考え方を直接学べるので、どんなときにも治療方針がぶれずに
患者様が喜んでいただく医療にやりがいを見つけることができたのも
S教授のおかげだと、感謝しております。

これが今の当院での早朝勉強会へつながっているのです。

分院長時代

熊本大学歯科口腔外科で経験を積み、これから開業に向けて
そろそろ準備をしないといけないなと思っていた矢先、

舞い込んできたかのようにある漁港に面した町の
歯科医院の分院長をやってみないかとお誘いをうけたのです。

当時は結婚したばかりで子供もいませんでしたので、
二つ返事でその任をお受けしました。

これまでは大学病院であちこち駆けずり回っていたの日々から、
いきなり歯科医院の分院長を任されたわけですから、
最初は混乱の連続でした。

しかし、思いがけずよかったことがありました。
往診や在宅医療を数多くさせていただく機会に恵まれたのです。

往診と一言で言っても、近所ではなく島への要請が多かったのです。
一日数便しかない定期船で島に渡るわけですから、
朝でかけると帰りは夕方。

もちろん平日には外来診療があるために、休みを使って往診へいくのです。
多いときには4ヶ月間、全く休みなしでがんばった時期もありました。

そこで、はじめから往診先で思い通りの歯科治療ができたわけではありません。
後述させていただきますが、いつもは診療所の歯科診療台(ユニット)の上で治療をしているのですが、在宅や入院中のベッド上での歯科治療となると、話が変わってきます

正直、幾度となく壁にぶつかり、困難の連続があったことは
確かなことですが、次々と往診の依頼が増えてきたことを考えると、
自分なりに一生懸命やってよかったと今では思います。

往診先でも、治療が進み、歯や歯ぐきの痛みがとれ、
入れ歯がなじんできたころに、患者様から

入れ歯を入れて食べることができるようになったら、
急に元気がでてきたんですよ。


と言われたり、ご家族からも
最近はとても顔色が良くなりました。歯をいれたら、表情がでてきました。
歌をうたったりするようになったんですよ
。」
などという声も聞くようになってきました。

また、以前往診に行った方がお亡くなりになられた後、
家族の方々が島から私の診療所へ訪ねてこられて、
おかげで最期のころはたくさんおいしいものを食べることができました。
本当にありがとうございました。

などとお礼を言われたこともありました。

そういったお言葉をいただくと、あらためて

歯・口腔は健康の源

であることを実感すると同時に、それらの経験は
私の仕事に対するやりがいと情熱を与えていただくことができました。

口腔と全身のかかわり早いうちから歯の健康に関心をもつことで、
多くの方がつらい思いをしなくて済むということに身をもって
知ることができた貴重な経験をすることができました。

そして開業

諫早生まれであったため、やはり郷里で開業したいと思い、
この地で開業しました。

開院当時の鶴田歯科医院は診療台が4つ
二人のスタッフでスタートしました。005
これまで経験したことを生かして一生懸命治療をしました。
おかげで患者様にも少しずつ来院していただき開院して
1年目で治療台を6台に増やしました。

そしてコンサルテーションルームを作ったり、事務室を作ったりと
数回にわたり改築を重ねてきました。

今年で開業して9年目に突入しますが、常勤歯科医は2名
そして非常勤歯科医が3名、一緒に働くスタッフも13名
規模も大きくなっていました。
006
口腔外科出身の私ですが、開業してからインプラントや審美歯科、
ホワイニングに力を入れ、学術誌に掲載されたり、セミナーや学会で
発表
するようになり、全国から見学者が訪れるようになりました
007
私はよくミーティングの時に、勤務している歯科医やスタッフにこう言います

「とにかく徹底的に来院される方々に信じてもらえるような
行動をとりなさい。信じてもらえないような行動は一切とらないこと。

そのためには人に対して正直に、そして本質を磨きあげる
スキルを身に付けてください。

私たちのベースにあるのは来院していただける方への
安心と信頼をいただけることなんです。

それができるように必要な勉強をし、そして考えることを
怠ってはいけない。

やりたいと思ったことがあれば、それが実現するまで一生懸命やって、必ずやり遂げることがもっとも大事なことです」

008
長い物語でしたが、いかがだったでしょうか。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。
もしあなたと出会うことができれば、ぜひ感想をお聞きしたいと思います。
それでは、また。

私が歯医者になった理由

ここからが本当の ~院長 鶴田博文物語~ なんです。

あなたは歯医者さんに行くことは好きですか?

現在、私は歯医者です。

大きな声言うのも恥ずかしいのですが、実は幼いころから歯が弱く、
歯医者さんに行くことが最大の恐怖だったのです。

あの歯医者さん独特のにおい
治療室からはキーンという歯を削るドリルの音
ただでさえ痛みのあるこの歯を、さらに削られるのかと思うと
気が遠くなりそうでした。

歯医者に行くくらいなら、このまま痛い歯のまま我慢していよう。
もしかしたら、明日には痛みが取れるかもしれない

そう思って我慢していたことが数え切れないくらいありました。

しかし、痛みが耐えきれなくなり、
「歯の痛み>歯を治療される恐怖」
という図式が頭の中で成り立ったとき、
初めて歯医者さんに行くことを決心するのです。

当然、そのときに歯医者に行くと、虫歯はかなり進行しており、
治療もつらく、通院も長くかかり、不安な毎日を過ごすことになります。

そんな私がなぜ歯医者になったのか・・そのわけをお話しします。

ここから先は「告白」に近いものがありますが、是非読んでみてください。

初めて歯医者に行ったのは、その祖母に連れられて。
きっと、小学校4年生のころでした。

待合室で待っていて、いつ自分の治療の順番がくるか、ドキドキしながら
待っていたことを覚えています。

がんばって何回も通院して治療が終わる。

でも、数年すると、また虫歯になって歯が痛くなっては我慢できなくなって、
仕方なく歯医者に行って治してもらう。

これを繰り返しているうちに高校生になりました。

突然のことでした

高校3年生の定期試験の最終日、猛烈に歯が痛み出した私は、
その時も勇気を出して歯医者さんに行ったのです。

なぜかその時、私は、いつもと違う歯医者さんに行ったのです。

たぶん、歯医者さんはどこにかかっても同じだという
意識がきっとあったのでしょう。

この歯医者さんの麻酔はさほど痛くなく、気がつけば歯の痛みが
うそのように取れていました。

治療が終わり、私はホッとして治療室を後にしました。

痛くなくなってよかった。これで今夜はぐっすり眠れる

そう思っていた矢先、受付の女性が、
今日は歯を抜いていますので、○○○○円になります」
とおっしゃるではないですか!

舌で痛かった部分を触ってみたら・・・ない!ない!僕の歯がない!

代わりに血液のいやな味が・・・まさか!
(サーッと血の気が引きました)

なんと本当に抜歯されていたのでした。
もちろんそれは永久歯です。

これまで歯が悪いとわかっていながら放置していた自分も悪いのですが、
抜かなければいけないほど悪くなっていたなんて・・
親からいただいた、かけがえのない私の歯。


それよりなによりも、私に歯を抜かないといけない状況であることを、
なぜ、その歯医者さんは一言も教えてくれなかったのか・・
そのときのショックといったら・・

一言でもいいのです。

抜歯する前に
「こうこう、こういう理由でこの歯は抜歯しないといけないのだよ」
ということを教えて欲しかったのです。


完全に私という「人」を無視された気分です。
その歯医者さんは私の虫歯だらけの口の中を見て、
「この人に言っても仕方がない」
とでも思ったのでしょうか。

これがとてもショックな出来事でした。

説明が全くなかったために、私はいまでも
「本当は抜かなくてもよかったんじゃないの?」
という気持ちが心のどこかに残っています。


高校生で永久歯を抜かれた私は、急に不安になりました。

とりあえず痛みは止まったのですが、
「このなくなった歯の場所は一体どうなるのだろう?」。
不安は付きまといました。

このペースでいくと、近い将来、歯が無くなって入れ歯になってしまう。

それは嫌だ。絶対にそれだけは嫌だ!

これ以上、どうしたら歯を抜かないようにすることができるのだろう。
悩みましたが、当然答えはでてきません。

偶然にも、その時は高校3年生の一学期の期末テストの直後。

ちょうど進路を考える時期でもあったのです。

「それなら自分が歯医者になればいい。もうこんな経験は2度とゴメンだ。
歯を悪くしないように自分が直接勉強すればいい。
そして世の人に、こんなつらい経験をさせない歯医者になる!

そう思い、進路を決定してしまったのでした。

しかし、私にとって大学の歯学部というところはハードルが高く、
浪人してやっと合格することができました。

決断の時│平成3年4月岩手医科大学の歯学部に入学しました。

その年、長崎から入学したのは私一人でした。

誰一人知らない北国で、夢への第一歩を踏み出したのです。

実はこれまで、私は自分の歯を勝手に抜かれたことを、
誰にも話をしたことがありません。
もちろん私の両親にも・・

あの体験はとても悔しく、そして惨めな思いで、とても人に話す気に
なれなかったのです。



このホームページを制作するにあたって、初めてあなたに告白します

しかし、その経験が、良質な治療を行い、少しでも人のお役に立ちたい
というモチベーションに大きくつながっていた
のではないかと思うのです。

歯医者として最も大事なことはやはり、
技術(ウデ)であることは間違いありません。

しかし、もっと大事なもの

それは人を思いやる心です。

歯科医師国家試験に合格した日。

私は改めて歯医者になった本当の動機をかみしめ、そして未来への自分の理想の歯医者像をイメージしてみたことを昨日のように思い出します。

どんな歯医者になりたい?」と自問自答しました。

技術のある歯医者

親しみのある歯医者

人の心がわかる歯医者

そして、研修医や勤務医の時期は、寝る間も惜しんで勉強し、働きました。

幸い、天から、両親から頑丈なからだは授かっておりました。
開業してからも、学会に出席したり、著名な先生の講演を聴きにいったり、
研修会やセミナーに数多く参加し技術の研鑽を積みました。

もちろん今も続けています。

気がつけば卒業してから十数年が経過していました。
そして、高校3年生のときに歯を勝手に抜かれた経験。

それは天から「お前は歯医者になりなさい」というメッセージだったのだ、
と今ではそう思います。

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