院長紹介
 

鶴田博文(Hirofumi TSURUTA)

歯科医師
医療法人良陽会 鶴田歯科医院 理事長
鶴田塾主宰
臨床研修指導歯科医

日進月歩する歯科医療技術の習熟に加え、熱いチーム力を持つ歯科医院を運営する。目先のことよりも長期的なビジョンをもった組織作りには、多くの人が感銘をうけている。鶴田理事長の「患者にとってなにが一番幸せなのか」という思いがスタッフ一人ひとりに深く浸透している。沖縄タイムス、日本郵便九州支社、商業界九州ゼミナールなどでの講演を行ったことがきっかけで、全国から多数の見学者が訪れる。インプラント治療の基本方針は林揚春先生の提唱する4 Sトリートメント「Short  治療期間の短縮 Simple 簡単・簡便 Small 低侵襲 Safe 安全」。腫れにくい、痛みが少ない、怖くないインプラント手術を心がけている。インプラントは年間150~180症例ほど行っている。静脈内鎮静法を併用したインプラント治療を希望する人も多い。

略歴

1969年
長崎県諌早市生まれ
みはる台小学校・諫早中学校卒業
長崎県立諫早高等学校 卒業
1997年
岩手医科大学歯学部卒業
第131960号をもって歯科医籍に登録
長崎大学歯学部付属病院(旧)第一口腔外科学教室にて卒後臨床研修
熊本大学医学部付属病院 歯科口腔外科医員
佐賀県の歯科医院にて分院長を経験
2003年
長崎県諫早市で鶴田歯科医院開業
2010年
臨床研修施設指定 第249号
2012年
長崎県雲仙市に移転開業
2014年
医療法人良陽会設立
2015年
Labo鶴田 設立
2018年
鶴田塾主宰

著書

  • 歯が痛くなる前に読む本
    予防歯科を始めよう!!
  • 口腔ケアをはじめよう!
    ~愛野記念病院のとりくみから~
  • 審美歯科の魅力
    ~あなたの本当の美しさをひきだす方法~
  • 最新の歯科治療セレックでHappy smile birthday!
    ~虫歯治療をする前に読む本~
  • 「やりがい」の生まれる職場の探し方
    ~これから歯科衛生士を目指すあなたへ~
  • 開業論

私の自己紹介

私は昭和44年、長崎県諫早市に生まれました。
父親は諫早市役所に勤務、母親は高校の教諭をしていました。
両親共働きで、小さいときは祖母に育てられました。
小学校に入ると水泳教室に入れられ365日のうち360日は水泳でした。水泳は嫌いでした。
母親が指導者であったので、無理やり水泳教室に入れられたのです。私は父親に似ていて、体育と運動 はまったくダメでした。
本とプラモデルが好きでした。
母親はお小遣いくれなかったけれど、本とプラモデルはたくさん買ってくれました。
プラモデルを精密に作ることが大好きでした。
自動車、オートバイ、戦車、飛行機、お城、なんでも喜んで作っていました。
マスキングし、塗装し、パーツをニッパで切断し、バリをとる。
ヤスリをかけて接着面を確保し、適量のタミヤセメントを使って組み立てていく工程がたまらなくおも しろかったのです。
中学生になっても、まったく飽きませんでした。
一日中、作っていても平気でした。

県立諫早高校に進学したら、科学部に入部。
今度はアマチュア無線にはまり、接着剤がはんだごてに代わり、ラジオの基盤を作っていました。
2年生の時に初めて見たのがアップルコンピューター。当時は高嶺の花で触ることすらできませんでし た。
そのあと、MS-DOSが登場。NECから発売されたパソコンを祖母に買ってもらい、それでBASICという プログラミングを覚えました。
高校も水泳部。
なんのとりえもなかったので、仕方なく入部したのですが、だんだんと競技人口が減っていき、泳ぐと 上位入賞してきたので、面白くなってきました。
毎年、九州大会までは出場できるレベルになりましたが、勉強はまるでダメでした。

高校3年生のときに歯が痛み、歯科医院に行ったら説明もなく、いきなり下顎の第一大臼歯を抜歯さ れ、悔しい思いをした経験があり、進路は歯学部を考えましたが、受験に失敗し、3年間も浪人してし まうのでした。
平成3年に岩手医科大学歯学部に入学。
小さいときからプラモデルや機械いじりが好きで指先が比較的器用であったため、歯学部で履修する 実習はどれも楽しく、すぐに終わって同級生の分をよく手伝っていました。
部活は水泳部の主将までつとめました。オールデンタルでは3年生までは入賞していましたが、4年生か らはろくに練習しなくなったので、負けてばかりいました。
ほかにも、写真部、飛行研究会(熱気球)、サイクリング同好会などにも所属し、アルバイトと部活で、 あっという間に6年間が過ぎ去りました。

大学3年生の解剖実習中に上顎神経前上歯槽枝の走行の破格(anomaly)を発見し、その内容を学会で 報告したことがありました。
それがとても勉強になりましたし、研究における意義を得ました。
卒業する時には、解剖の教室から「大学院にいって学位を取らないか」とお誘いがありました。
とても面倒見が良く、すばらしい先生からのお誘いでした。
4年間で学位をとって歯学博士になることはとても魅力を感じました。
それより、こんな自分に声をかけていただいたことが、とてもうれしかったのです。
「自分は期待されている」、「この先生についていきたい」、「研究もやってみたい」、と思い悩みま したが、自分の年齢からすると、どうしても35歳までには開業したかかったことが、頭にありました。
5年生の時から私はクラブ活動のO Bを頼って、夏休みなどの長期休暇のとき、その医院で見学や、 ちょっとしたアルバイトをさせて頂いていたのです。
そのOBの先生は私をよく可愛がってくださいました。
医院の雰囲気がとても良く、たくさんの患者さんがお見えになるにも関わらず、その先生は一人ひとり 丁寧に説明され、スタッフも活き活きと働いており、帰っていく患者さんの顔はいつも笑顔でした。
自分は将来、こんな歯科医院を実現するのだと、そのOBの先生をモデルにして、自分の将来を頭に描 き日々、学生時代を送っていたのです。
それがきっかけで、学生の時からすでに開業したいと心に決めていたのです。
そこで、大学院に行かないか本気で誘われたので、ずいぶん悩みました。
大学院にいくためには、両親に仕送りをさらに4年間追加してもらわないといけないということも大き なハードルでした。
奨学金制度などもあり、進学しようと思えばできたのでしょうが、私には大学院に4年残って研究に没 頭したいという意欲と熱意が十分ではありませんでした。
これでは教室にご迷惑がかかる、そう思いました。
研究と開業の道を真剣に考えたら、自分の中では開業という道があっていると思ったのです。
最後の最後まで悩みましたが、結局大学院には進学せずに、就職を決意しました。
就職も大事です。歯科医師になってはじめて就職するところがこれからの基準になるからです。
その時、大学5年生の時に受けたインプラントの講義が忘れられず、インプラント治療をしている歯科 医院を探しました。
当時はまだ、ブローネマルクインプラントが世に出始めたばかりでしたので、なかなかそんな歯科医院 はありませんでした。
東京にインプラントをやっている有名な歯科医院を見つけましたが、残念ながらそこへの就職は叶いま せんでした。
そこで、クラス担任の教授にお願いして、郷里である長崎大学第一口腔外科学教室を紹介して頂いたの です。私はその教室に臨床研修医として入局することができました。
卒後、はじめての就職先でした。
地元である長崎大学歯学部付属病院の医局に入れたことが大変うれしかったことを覚えています。
そこで、抜歯、ルート確保、外科手術の鈎持ち、アシストなど、若手の仕事を一生懸命覚えるのです。
臨床研修が終わると、熊本大学医学部付属病院歯科口腔外科に入局します。
そこではたくさんの外科手術をさせていただきました。病棟の患者さんもたくさん受け持たせていた だきました。
毎日が忙しく、なかなか休みが取れなかったこともありましたが、大変充実した毎日を過ごしました。

なかでも当直の時が最も勉強になりました。
すべて自分で判断し、治療を行わないといけません。
指導医に電話をして、自分の診断が間違っていないかどうかを確認しながら技術を磨いていくのです。
ですから、当直を進んで引き受けていました。
ある程度外科手術もこなせるようになってきたころ、外勤先の開業医の先生から、「私の友人が経営 する歯科医院の分院があるのだが、そこで勤務してみないか」というお誘いを受けました。
そろそろ、開業医に就職を考えないといけないと思っていましたので、願ってもないチャンスと思い、 そこの分院長をさせていただくことになりました。
佐賀県の田舎の方です。
そこで3年間、怒涛のような毎日を過ごしました。
治療だけではなく、院内のマネージメントにおいても大切なことをたくさん学ぶことになるのです。
ここでの経験は今の支えになっています。
(この経験はいつか何かに記したいと考えています)

そして、卒後7年後に諫早市森山町(旧北高来郡)に開業することができました。
この時私は33歳。結婚して5年、長男が1歳半の時でした。
(著書 開業論より抜粋)