つるちゃんからの手紙4月号 (令和6年4月号)
 

27歳の時に歯科医師になりました。そして今年の3月で、歯科医師になってから27年が経ちました。今54歳です。つまり私の人生の半分が歯科医師という仕事に携わっていることになります。大学6年生の時に歯科医師国家試験を受験しました。私の出身大学は東北の岩手県にありました。国家試験は180キロ離れた仙台市にある河合塾(予備校)で行われました。クラスメートが90人いましたので、クラス委員がバスを2台貸し切り、ホテルを手配してくれました。前の日にはとても緊張して、よく眠れません。朝も食事が喉を通りませんでした。私が受験したのは3月でしたので、まだ道には雪が積もっていました。受験会場に到着し、自分の受験番号を確認して席に座りました。今まで見たこともないような広く大きな階段教室です。前の席には東北大学、後ろの席は奥羽大学の受験生でした。そこで丸2日間、試験を受けました。年々難しくなっていたので、何度も問題と答案の間違いがないか見直しをしました。試験が終わったら帰りのバスの中にはクラス委員がクーラーボックスとたくさんのおつまみを準備してくれていて、試験場をバスで出たとたんみんなで乾杯しました。国家試験が終わったという解放感のため、次から次へとビールや日本酒が出てきて、トイレは当然近くなり、すべてのパーキングエリアのトイレに立ち寄りました。普通だと仙台市から岩手県盛岡市までの高速道路で行くと2時間半くらいかかるのですが、帰りは3時間半以上かかりました。バスの運転手さんは大変だったと思います。最初は相当盛り上がっていましたが、一関を過ぎたころには急に睡魔に襲われ母校に到着するころにはほぼ全員が爆睡していました。

その翌日、国家試験の自己採点を行いました。合格点に達していたので、すぐに担任の先生と父親に報告をし、お礼を言いました。

「お前の晴れ姿を見たかけん、東北までいかんばいけん」と両親が諌早から盛岡まで飛行機と新幹線を乗り継いで、来てくれました。親が私の卒業式に来てくれたのは、はじめてでした。父は市役所の職員で、市長の祝辞の代読をするため、また母は教職員でしたので自分の職場の卒業式と重なり、小中高と親が自分の卒業式にいないのには慣れていましたが、大学の卒業式に両親そろって来てくれるなんて、本当に夢のようでした。

両親を盛岡駅に迎えに行きましたが、2人ともいかにも春の装いそのままの薄着でした。「寒か、寒か」と言っていました。私の狭い下宿に両親が泊ってくれました。卒業式に行くときも雪の中、靴がびちょびちょになりながら3人で歩いて行きました。歯学部付属病院の最上階にある講堂までの行き方がわからなかったようで、ずっと目を離すことができませんでした。「こぎゃん病院の中で卒業式はできるとやろか」と2人は大きな声で話をしていました。卒業証書をいただき、そのまま両親も謝恩会に連れて行きました。でもやっぱり薄着なので、「寒か、寒か」を連発していました。ホテルの謝恩会では飲み放題なのをいいことに親父は大好きな日本酒を「こいはうまか!」と全開で飲んでいました。母親はよほど嬉しかったのか、近くの人に誰かまわず話かけていました。翌朝、両親を盛岡駅まで見送りました。ふと見ると母親の服の一部の縫い目がほどけていました。「だけん寒かたったとたい」と母は笑っていましたが、その服、よくきいてみたら母が自分で縫って作った服でした。私の6年間の大学の学費を捻出するため、母は上五島に7年間も勤務を希望し、その離島手当のすべてを私への仕送りに充てていたのです。自分の服を買うこともできず、布だけを買って自分でミシンを使って服を拵えていたらしいのです。母は手が不自由でした。その母がうまく洋裁などできるはずもないのです。また、両親が薄着だったのは、北国に来るのに上着を忘れたわけではなく、お金がもったいないと防寒コートを買うこともできなかったのではないかと思うのです。それを考えると、もう胸が押しつぶされるような感覚になってどうしようもなくなりました。

当時の盛岡駅は東北新幹線の始発駅でした。ホームはとても寒かったし、長旅で疲れるだろうと思ったので、2人にはどうしても席に座ってもらいたかったので、ずいぶん早くから自由席の乗車口の列の先頭に並びました。両親にはホームにある暖房のきいた待合室でやすんでもらい、冷たい風が吹くホームに両親の荷物を持って立っていたら、自然と涙としゃっくりが出てきて、どうにもとまらなくなりました。相当寒い日だったのですが、私は寒さを感じることができませんでした。ホームに新幹線が滑り込んできて、2人の席を確保しました。席に座ると両親は「ああーヌッかねえ、ありがとうね」と言いました。それからキオスクにダッシュし、駅弁と南部せんべい(※)、それと温かいお茶を買って手渡しました。両親は顔をクシャクシャにして何度も何度も「ありがとうね、ありがとうね、楽しかったよ」と言いました。ドアが閉まり、新幹線がゆっくり走りだしました。手を振る両親は、なんだか小さく見え、「ああ歳をとったなあ」と感じました。私はその新幹線が小さくなって点になるまでホームで見送りました。4月になるといつもそのことを思い出します。新入社員オリエンテーションでは初任給をもらったら、育ててくれた人になにか心のこもったものをプレゼントするんだよ、と毎年のように話をしています。独り立ちをしたら、親になんらかの感謝を表すことが人として何より大事なことだと思っているからです。ここに働く人は思いやりがあって、心が優しい人でいて欲しいと願っているのです。

※南部せんべいは青森県、岩手県のお土産の定番。小麦粉と水にゴマやクルミ、落花生を加えて円形の枠に入れ硬く焼き上げたもので、素朴な味がする。近年は烏賊やチョコ味、リンゴ、カボチャ、ココア味などいろいろなバリエーションがある。