つるちゃんからの手紙2月号(令和5年2月号)
 

歳が明けて1月8日(日)。東日本にあるスタディグループで講演してまいりました。

1月は新型コロナ感染症第8波のピークを迎えておりましたので、東京市ヶ谷まで、日帰りで講演を強行しました。ここ数年、コロナ禍のためWEB以外の講演は全て断ってきたのですが、今回の講演だけは特別でした。それは、学生時代お世話になった藤本先輩からの依頼だったからです。水泳部と寮の2学年上の先輩でしたので私にとっては恩人と言える方なのです。今日は学生時代の話をしたいと思います。

私が大学生だったのが32年前の話です。当時は全国にたくさんの学生寮というのが存在していました。私が入ったのは「第一学生寮」という木造2階建て築50年は経っている古びた建物でした。定員30人。相部屋ではなく、個室といっても5.5畳一間。トイレと風呂は共同。食堂があって2食付き、一カ月の家賃は3万5千円。3月下旬に大学の合格発表があり岩手県盛岡市まで、部屋を探しに行く余裕もなく、合格通知に同封されていたこの学生寮の案内をみて即決したのです。引っ越しと言っても、両手に大きなボストンバッグを二つとリュックとギターだけでした。盛岡駅に到着したら、岩手山にきれいな雪が被っていて、北国にやってきたことを実感しました。

入寮したらすぐにミーティングと言って毎日一年生は食堂に集められ、先輩から、「挨拶ができていない」、「返事ができていない」と厳しく叱られます。すごい迫力で叱られますので、反論なんて、とてもできません。もちろん、常識的な普通の挨拶くらいでは許しが出ません。どんな場面でも上級生に出会ったら、大声で声を振り絞って「こんにちは」「失礼します」と言わないといけません。まるで応援団か野球部のようです。恥ずかしいなんて思えないくらい必死でやりました。トイレに行っても、お風呂でも、学校でも、街の中でも、先輩の姿が少しでも視界に入ったら、先輩にかけより大きな声で挨拶をするのです。一日に何度会っても、その都度大声で挨拶をするのです。挨拶しても先輩からは無視されるのです。それを見た関西出身の同級生は「あいつ、鶴田が必死で挨拶したのに返事せえへん!ありえへん!人間として最低や!」と言いましたが、その時は、同級生に寮の厳しさについての話ができないくらいビビッていました。

他にも寮にはたくさんのルールがあって、寮に一つしかない赤電話がなったらそれを3回以内で取らないといけません。外出札というものあって、それを、出かける時にひっくり返しておかないと、こっぴどく叱られます。当たり前ですが、家賃の滞納はゆるされませんし、男子寮でしたので、寮母さん以外の女性は立ち入ることができません。寮母さんは「外久保すげ」さんといって、とても優しい方で、月曜日から金曜日まで作ってくれる朝食と夕食がとても美味しく、金曜日のカレーにおいては、他の寮からも食べにくるほどの人気でした。

先輩からとても厳しく規則を叩き込まれますので、一年生はみんな結束します。めちゃくちゃ仲良しになります。どうしたら、先輩から叱られないようにするか、毎晩みんなで話合うのです。ですから、一生の友と言える友人が何人もできました。

 

学生の頃

30年後の現在

 

今回、私に講演を依頼した藤本先輩ですが、みんなの前では厳しかったのですが、私にだけはなぜか良くして頂きました。今回も講演の前にこの写真をスライドに映して、「今日の講師は私の後輩です。九州から来てくれました。とても熱いやつです」と紹介していただきました。

これは大学4年生のころ、水泳部で主将をしていた時の写真です。頭の中は30年前にタイムスリップ。こんなに時が経っていても私を思い出してくれて、東京までご招待いただいたことに、心から感謝したのです。嬉しくて泣きそうでした。もちろん講演はいつも以上に力を入れて話をしました。

人生に必要なものは8つあります。それは「家族」「友人」「仕事」「収入」「健康」「趣味」「地域(社会)とのかかわり」です。人の縁をどれだけ大事にするかが、人生を豊かに彩ってくれるものです。まだまだ元気なうちに、動けるうちに、会う機会があれば無理をしてもいいから、会っておく。人の縁は大事にしていこうと思います。

文責 鶴田博文