つるちゃんからの手紙令和7年2月号 (令和7年2月号)
つるちゃんからの手紙 令和7年2月号
「少年老い易く学成り難し 一寸の光陰軽んずべからず」(朱 熹)
私は学生時代から夢を語るのが大好きでした。大学の歯学部に入ってすぐに「夢は開業」と口にしていました。友人と飲みに行くと、どんな歯科医院を創るのか、どんな歯科医師になるのかを朝明るくなるまで語り合っていました。(東北だったので朝はこちらより1時間ほど早い)住んでいた寮から学校までの道にはたくさんの歯科医院がありました。どこの歯科医院も待合室は患者さんでいっぱいでした。そこを通るたびに、いつかきっと自分もこんな素敵な歯科医院を建てて、地域の人の役に立てるようになるぞ、と考えていました。大学を卒業したらまず修行しようと思い大学病院の口腔外科に入局するわけですが、何も治療ができないのにお給料を頂くわけですからもう無我夢中で働きました。朝は7時には医局に出てきて掃除をして先輩たちの山になったコーヒーカップを丁寧に洗い、吸い殻を捨て、テーブルの上をキレイにしていました。それが終わると動物舎に行ってラットやマウスの世話をし、それから病棟で入院患者さんのナースカルテを読んでから、外来診療に臨んでおりました。外来が始まると忙しく、昼ご飯をかきこみ、そのまま午後は手術のアシストといった具合です。夕刻になると医局会やカンファレンスがあり、入院患者さんの夕食が済んだ頃、点滴をしに病棟にまたあがります。その後はカルテを見直したり、症例を整理したり、教授の講義の準備をしたりと、気が付くと夜9時を回っていたりします。すると先輩が私を「メシまだだろ?」っていって晩御飯を食べに連れて行ってくれるのです。
そんな毎日を3年間続けました。こんな大変なことをやっていても、全く苦になりませんでした。なぜかというと、明確な夢があったからです。開業は私にはとてつもなく大きな夢でした。失敗は許されない、誰も自分を守ってくれない、そのことを考えたら、身震いしていました。今でも、夢は大きければ大きいほどいいと思っています。若い先生には「人から笑われるくらいの大きな夢を持ちなさい」と言います。それが大きければ大きいほど、さらに大きな障害や壁が立ちはだかります。その時、こんな困難を乗り越える事ができないかもしれないと思うわけですね。でも自分で決めたことだから何としても乗り越えようと、いろいろな知恵や工夫をする、そしてもがいてみる、すると不思議なエネルギーが湧いてくるものなのです。私の医院では若い歯科医師の先生が働いています。よく学び、十分なトレーニングや症例検討をしています。私は彼らがどれくらい勉強をして、練習を重ねているのか、詳細はよく知りません。でも、それはすぐにわかるものなのです。診療するときの姿勢を見ただけで、どの歯のどんな治療をしているのか、難しいのか、そうでないのか。また、治療後のレントゲン一枚でも技量を判断することができます。小さなことにこだわって、積み重ねて、ひたむきに努力する強い意志があれば歯科医師として必ず成功すると私は思っています。一流の歯科医師になりたかったらいい歯科医院で修行するのが一番です。でも朝早いのはイヤ、夜遅いのは困る、休みが欲しい、と考えているうちはまだまだです。そのくせ、技術を磨きたい、かっこいい肩書きが欲しい、専門医になりたいと言う人も少なからず存在しています。私だったら、どんな歯科医に口を診てもらいたいかということを考えます。休みや遊びのことばかり考えている歯科医より、人のために技術を絶えず磨いている歯科医のほうが、安心して任せる事ができるのではないでしょうか。それは、すべてその先生の自信を持った顔つきや優しい声や穏やかな態度、雰囲気にすべて出てきます。夢を口にすることで、前向きに自分を磨きこむことができると思うのです。私は、まだまだ未熟者です。修行が足りていません。道半ば。それでもほんの少しでもいいので人の役に立てるような歯科医療ができるように自分を磨いていきたいと考えています。
※2月1日をもって当院も22周年を迎えることができました。これも医院を支えてくれた患者様、スタッフのみんな、取引業者様、勤務医の先生方、そして家族のおかげです。この場を借りて心よりお礼申し上げます。これからもどうぞよろしくお願いします。